これまた衝撃のノンフィクション。
ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治さん著、新潮新書)
☆非行少年に限った話でもない
本書は、非行少年に共通して見られる認知の歪みについて論じたものですが、本書で述べられている内容は、非行少年だけでなく、いわゆる学習の遅れている児童・生徒全般にも当てはまる話だと思います。
私は、教員や学習塾講師として、いわゆる底辺校(この言葉は好きではないですが)で指導した経験もありますが、本書に書かれている内容には強く共感します。
「認知の歪み」というと大袈裟に聞こえますが、要はこういうことです。
・簡単な足し算や引き算ができない
・漢字が読めない
・簡単な図形の模写ができない
・短い文章すら復唱できない
・人の話を理解できない
具体例を挙げましょう。
・高校生なのに九九を知らない
・100から7を引くと? と問われて993と答える。
・日本地図を見せてもそれが日本だと気づかずに「見たこともない図形です」と答える。
こんな状態で小・中・高と12年間、まったくわからない授業を長時間聞かされているのです。
それは多大な苦痛でしょう(もちろん、だからといって非行をしてよいということにはなりませんが、本人のせい、と断罪するだけでは根本的な解決にはならないと思います)。
筆者の宮口さんは、少年院にはこういう子が多くいた、と述べられていますが、私の体験では、何も少年院に行かなくてもこういう子は普通科の高校、へたをすれば大学にも多く存在するのが今の日本です。
少なくない方が、たとえばこのブログをご覧になっても書いてある意味がまったく理解できないのです。あまり知られてないですがそれが日本の現状であるとご理解ください。
☆「反省以前」の少年たち
学校も少年院も、上記の事実に気づいていない、または気づいていても見て見ぬふりをしているので、長い話をしてお説教をしたり、反省文を書かせたりするような指導をよくやるのですが、彼ら・彼女らはそもそもそんなお説教の内容を理解できないですし、反省文なんか書けないし、自分のやったことの何がどう悪いのかが理解できていないのです。
例えば、殺人を犯した少年の約8割が、「自分は優しい人間だ」と回答したそうです。
どんなところが優しいの? と問うと、「小さい子どもやお年寄りに優しい」「友達から優しいって言われる」などと回答するそうです。
そこで、「君は〇〇して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君は優しい人間なの?」と聞いて初めて、「あー、優しくないです」と答えたそうです。
このような、「反省以前の子どもたち」が多くいるそうです。これでは被害者遺族は浮かばれません。心からの謝罪なんかできるはずがないのです。
認知行動療法は、ある程度の認知能力があることを前提にしているので、
これでは手の施しようがないということになってしまいます。
☆自己責任論の愚
1クラス40人を1人の教師が担当する現在の日本の教育モデルでは、このような子の認知能力を育むことは不可能で、そもそも気づかないか、気づいたとしても手立てのしようがないのです。
残念ながら今の日本では、この手の問題では行政を当てにしても埒が開かないと思います。
各ご家庭で、認知能力を育んでいくしかありません。
私は、これもまた小泉純一郎さんや竹中平蔵辺りの時代から声高に言われ始めた、自己責任論の弊害だろうと考えています。本書を読んでもなお、非行少年たちの自己責任だ、と言い切れるでしょうか。
本書をご覧になり、ぜひ日本の深刻な現状を知ってください。