連載物です。最初の記事はこちら。
☆まとめ
既に1万字を超え、私史上最も長い記事になっていますので、そろそろまとめます。最後に私から3つ言わせてください。(まだ3つもあるの!笑)
☆主張1 みんな違ってみんないい
金子みすゞ さんの「 私と小鳥と鈴と 」という詩の中に、「みんな違ってみんないい」という有名な言葉があります。
有名な詩ですが、改めて全文を引用させていただきます。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
障害者が健常者よりも劣っていると発想すること自体がそもそも誤りです。
☆主張2 国家の義務
憲法25条1項には次のように書いてあります。生存権です。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
そして、以下に示すのはWHO(世界保健機関)による健康の定義です。
(強調はコペル&アヤによる)
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。…日本WHO協会による訳)
以上2つを併せると、国家には、国民が精神的にも豊かに生きられることを保障する義務があることになります。生存権は単に経済的な豊かさについて定めた条文ではないと解釈するべきです。
そもそも「死ぬ権利」などを希求しなくてもよい、「生きる権利」がきちんと保障された社会を形成することが国家に課せられた義務です。そのために私たちは高い税金を納めているのです。
ALS患者が「惨めだ。こんな姿で生きたくない」と語って亡くなった事件を受けて「死ぬ権利」の議論を開始するような政治家は人でなしです。そもそも惨めと感じなくてすむ、それこそ尊厳を保って精神的に豊かに生きられる国家を作ることこそが政治家の仕事だと思います。
生きている人間の尊厳すら尊重しない者に、尊厳死を語る資格を与えるべきではありません。
(つづく…)
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